Bluesoup
Louang Namtha Laos
2009
遠くの小高い場所に金色のストゥーパが見えます。お参りマニアとしては見過ごせません。
赤土の道を進み、ぬかるみに足をとられとられ、長い長い階段を上る、暑い暑い、夜はあんなに寒いのに。
階段を上り終えると、町を見渡す景色と風が気持ちいい。
金色のストゥーパの奥にはオリジナルと思われる遺跡があります。
お参りを終えて階段を下りはじめると、とめておいたチャリのそばに子供たちがいます。
おれが下りてくるのを待っていたらしく。「サバイディ~!」って、みんなが叫んでくる。次に「アロ~!」だ。
「サバイディ~!アロ~!サバイディ~!アロ~!サバイディ~!アロ~!」いつまでも続く。
おれが「コンニチワ!ボンジュウウ!ニイハオ!シンジャ~オ~!サワディーカッ~!!」と言うと、
サバイディーアローの攻撃はようやく止まり、みんなマネてくる。
「まいど~!」も教えておけばよかったと、今ちょっと後悔してます。
屋台で買った揚げ菓子は口に合わず、不服そうにバッグにさしてあるのを目ざとく見つけると、くれくれ言う。
子供たちは知らない人にほどよく付いてくるし、知らない人にもらったものでも普通に食います。
親たちも遠くで笑ってます。
ムアンシンへと向かうアップダウンの多い舗装路をチャリで走っていると、村の子が楽しそうに並走してきます。
みんな並走が大好きで、バイバイって言うまで、こっちが不安になるくらいどこまでもついてくる。
彼の名はミスター ブゥン。カタコトのラオス語で名前を聞くと「○×△○×△ブゥン」
「ブゥン」だけ発音できたので、ミスター ブゥン。未婚らしい。
モトが大人の財産なら、チャリンコは子供の財産(たぶん)。上りでもおれの脚に普通ついてきます。むしろついて来いといわんばかりです。
彼はおれの足のタトゥーに向かってしきりに何か言ってましたけど、何を言っているのかはサッパリ。
そのわけは後になってわかりました。同じトライバルデザインが近くの民家に大きく描いてあったから。
なんの関係かと?聞きたかったのかも。どっちにしても、それはそれはいいおまじないに違いない(はず)。魔除けかも。
村では子どもにも仕事があります。モトにも乗るしチュクチュクだって運転しますし、タバコを吸う子もいます。
ブラックタイ族はフレンドリー。陽気なタイルー、子供たちは手を振ってきます。
子供だけおれの前に置いて自分はフレームアウトしてしまう親もいます。(人買いと思われた?)
カム族はちょっとノットフレンドリー。
彼らはムアンシンでもルアンナムタでも最初に自分の村を名乗ってくることがあります。
「アカー!」「タイルー!」
そのたびにおれもいい返します。「ニーップン!」
ブラックタイ族の村々を抜けると舗装路A3に出ました。中国国境まで50キロ。
地元はハイウェイと呼んでるこの舗装路。途中から追走して来たリトルミスター カーイが並走します。
弟(たぶん)をのせて楽しげなのはわかりますが、何を言っているのかさっぱりわかりません。
モト用のガソリンがガラスビンに入れられ店先で売られてます。
ときどき中国行きと思われる大型トラックがかっ飛んで行きます。
町を見渡す大きなストゥーパを目指します。(子供たちのいたサバイディーアローのストゥーパとは別の)
未舗装の激坂(この坂をマウンテンバイクの軽いギアとはいえ、チャリで登りきれるやつはそういまい)を汗をかきかき登りきり、
ピカピカのストゥーパが今、おれの目の前に。帽子を脱ぎ、靴を脱ぎ、
一段上がって閉まっている扉の前でお祈りをして帰ろうとすると、さっきまで聞こえなかったきれいな風鈴の音。
チリンチリン?。続いてどこからか、どうやらおれを呼ぶ声。
声の主を探すと、さっきまでアズマ屋でのんびりカゴを編んでたおじいがストゥーパに戻れと手振りしている。
「お、おれ?」おじいが立ち上がる。あれあれ?なんかしちゃったかな?おじいが来るのを待ってから一礼し、無言で後につづく。
閉じた扉まで戻ると鍵を取り出し、身振り手振りで、開けるから中でお祈りしろと言う。
エ、まじ?リアリィ?いいんですか?じゃ、お言葉に甘えて!
中には大きな金色のビルシャナすなわち大日。おじいにはわからないと思い、日本語で声に出してお祈りさせていただきました。
おじいにも同じように深く頭を下げさせてもらいました。
帰りにもまた、見送るような風鈴の音。スペシャルなお参りをありがとう、おじい!
(横で読経してくれてたから僧かも)
Akha
ムアンシンまで行くのに借りるはずだったモトがないことが今朝になってわかり、やっぱりバスで行こうと思い、
ゲストハウスから離れたバスターミナルに行く用に呼んでもらった軽タクのドライバーに、試しにムアンシンまでのキープを交渉してみたところ、
なんとなく納得だったので、そのままチャーターしました。
ムアンシンまで約60キロ。いろいろ自由もきくし、トイレタイムも自由ですし。
なによりたとえ言葉が通じなくても、こっちの人と一緒にいれるのは安心だし、彼のキャラも楽しそう。
彼の名はミスターKHAN。年齢不詳の今回のナンバーワンキャラ。
寒いので助手席に乗り込み、大音響でラオポップを流しながら出発です。
しかし、カセットテープには1~2曲くらいしか入っていないようで、すぐに終わってしまいます。
そのため、カセットチェンジのたびに、巻き戻しのたびに軽タクは左右に大きく振れ、ミスターKHANはいちいち笑ってごまかします。
(ラオポップの大爆音はGH近くの朝市でもおなじみ。まっ暗いうちからズンドコ系のベース音が森とゲストハウスをふるわせてます。)
さて、少数民族の村々を抜け、ひたすらでこぼこ舗装の道を走り続けます。
村があるたびにKHANが叫びます。「アッカアー!」「ラァンテエン!」。どうやらこの村が何ピープルなのかを伝えようとしてるらしい。
道には時々穴があいていて軽タクは飛び上がり、頭をぶつけそうになります。
そのたびにミスターKHANは笑ってごまかします。おれもそうします。
ハンドルが壊れていて、まっすぐ走るにはいつも左に45度切っておかないといけません。
それでもしばらく走るといよいよハンドルが効かなくなってきて、とうとう軽タクは止まってしまった。
ジョイントをスパナでガシガシ増締めしてるけど、いったいどんだけ緩んでたのさ?ってくらい締めてます。
おれはハンドルが動かないようにしっかり押さえてる係。ミスターKHANはゴーとストップと地名とサンキューしか通じないが、
崖から落っこちないためにも言葉を越えて修理です。ミスターKHANとふたりで崖下はいやだ。
走り出すと、あいかわらずハンドルは左を向いたままですが、さっきよりは走りが若干シャープ。
ミスターKHANはご機嫌です。
途中のアカ族の村で母子たちが一緒に乗せてけという。彼らを乗せて再度出発、したかと思ったら。
こんどはポリストラフィックの検問で止められ、ミスターKHANがポリスに連れてかれてしまった。
軽タクにとり残されたアカ族母子とおれは彼に不審な目を向ける。結局よくわからなかったけど書類のトラブルらしい。
けっこう長くかかり、ようやく出発。ミスターKHANはあいかわらず笑ってごまかします。
しばらく走り、アカ族母子をおろしミスターKHANは値段交渉中。母子たちはおつりに不満らしい。
ここには1000kip札(約9円)のほんとうの重みがあります。母も引き下がらない。
さすがのミスターKHANもちょっと不機嫌なようです。
おれはタフでがめつい彼らが大好きです。
Muang sing
いよいよムアンシンに到着。まず今日中にルアンナムタに戻りたいんで帰りの便を考えます。
考えたんだけど、バスの時間がいまいち怪しいんで、どうせなら帰りもまた、ミスターKHANの世話になろうと、
できれば町中をテキトーに流しつつ待っててもらうように頼みたいけどうまく通じない。
ミスターKHANはついてこいという。ちょっときれいな何かの建物まで連れてかれると10代と思われるイングリッシュスピーカーが登場。
なんとなく希望は通じたように思えたが、彼のコトバとミスターKHANのコトバが微妙に違うのか、おれのひどい発音がやっぱり通じないのか、
その後ツーリストオフォスらしき所にも連れていかれ、英ラオの仲介が入ってようやく話は成立です。
おれは歩き出し、まずは改装中の寺に入ってお参りします。ムアンシンはメイン通り以外は未舗装の小さな町。
まわりを山に囲まれた平地でナムタと同じようにコメをつくってますが、ナムタのように田植えをしてる田んぼは見かけません。
ナムタで標高が500~600くらいらしいので、ここはもう少し高いのかも。
アヒルやニワトリも同じように徘徊してますし、ブタも歩いています。どれが誰のブタなのかわかるのかな?
エスニックグループミュージアムというエスノ情報館に入ってみて、ついでに市場の場所を聞きます。
新しくできたらしい市場は中国製品山盛りで、時々ワイルドプロダクツが混ざります。たぶん地元の。
市場の建物デザインには色気もなく、ナムタのチャイニーズマーケットと大きくかわらず、こういうところに共産国を感じたりします。
あっというまに町をひとまわりしてしまい、腹もへったのでレストランでフライドライスを頼むと、うまい!
けれども量が多すぎて全部食いきれない。中国に近いだけあって、レストランは中華系が中心のようです。
町なかを、白人さんを乗せてご機嫌なミスターKHANが行き来します。そのたびにヤーヤーと声をかけてきます。
予定通り、無事、彼にひろってもらい。同ルートをルアンナムタまで帰ります。明るいうちに帰れそう。
途中、ガス欠の軽タク仲間を発見。後輩に気前よくガスを差し出すのかと思ったら、そこはさすがミスターKHAN。
もう1枚、もう1枚と、渋る若いドライバー手からキープを抜き取っていくのでした。
Rice field
006981
凶暴鳥 カイグアォン。通りたいのに狭い道を通せんぼするいやなやつ。
横を通り抜けようとすると威嚇してきます。中途半端にでかいので怖い。
家畜もかわいいというよりは、どちらかというと荒っぽい。
子牛にもちゃんと主張があるから逆らいません。
町中を普通に徘徊しています。
脇道をひたすら走り続け、ランテン族の村を通り過ぎたあたり、前から歩いてきたきた若い村人に止められました。
日本人だと言うと英語で、去年この奥で日本人となに人かの異国籍カップルがアクシデントにあったから行かない方がいいと言います。
どんなアクシデントかは結局よくわからなかったけど、戻るべきかと聞くと、そうだと言います。
もちろん逆らうつもりはありません。素直にお礼を言い、引き返しました。
ゲストハウスに戻り、テラスでのんびりしてるとスタッフの子たちが遊びにきます。
「私たち匂わないか?」「なんの匂いかわかるか?」「匂うよ、アルコールでしょ?」
ミセス ウェラは22才で2児の母。上の子6才。ミスター ブッドサディーは独身男子。英語が上手でガールフレンドが欲しい21才。
ごきげんなふたりはマックブックと日本人に興味津々。二人が聞いてくる。
値段は?キープでいくらか?どこで習ったのか?日本人は英語をいつ習うのか?蚊取りマットを英語でなんていうのか?
そして、ジャパニーズフレンドから習ったという謎の日本語「イノー」。
「INNO?」カーメイトがこんなところに営業に来たとも思えず。結局それはイヌ。ドッグ。
試しに彼らに「たちつてと」にトライしてもらうと、どしても「カチェチュチェト」になってしまう。
「た」のカタチに口がならないらしく、「なにぬねの」も苦手らしい。
テラスには彼ら以外にも地鶏家族がやてくる。ひよこを多いやつで7~8羽連れた母鶏が土の中の虫を突っつきながら回遊してきます。
村や場所によっては子どもたちが物乞い寸前だったりします。
外人の顔を見るなり「キープッ!(お金!)」って言ってくる子も少なくありません。
戦後は新宿だってそういう状態だったとばあちゃんから聞いてますけど、
やっぱり、おれとしては言葉のわからないふりをして無視するほかありません。
ただ、山には腰から親たちと同じ分厚いナタをぶら下げてる子も普通にいますし、日本のぬるい子どもたちと違い、
少数民族である親たちの生き様を見て、幼児生存率とマラリアから生き抜いてきた野生の子たちですからナメてはいけません。
そんなときは、成田で買ってきたヒロシゲの浮世絵トランプを1枚あげます。
子どもたちは見たこともない日本の風景画と意味不明なシンボルに夢中です。
もし、そこでニープンということが彼らに伝わっていれば、それは素敵な心の国際交流。
市場などではエスニック写真にはキープが慣例のようでしたが、
おれはなんとなく、そういう匂いのする人たちは避けてました。
Vientiane
今日はプロペラ機でビエンチャンに移動。その後ハノイ経由で帰ります。
ランチにラープを食いながら、空港までの軽タクを呼んでもらうと、やってきたのは再びあのミスターKHAN。
なぜだか彼はとても嬉しそう。抱きつかれそうだ。空港で握手をしてバイバイ。お元気で!
プロペラ機はワッタイ空港に無事着陸。ビエンチャンが大都会に見える。さっそく屋台でビアラオ飲んでバードを食います。
あいかわらずチキンじゃなくてバードの方が通じるビエンチャン。
翌朝は来たときに行きそびれたので寺に行ってパーシーです。
タートルアンでも位の高そうなお坊さんがパーシーをやっていたので、こっちでもさっそく並びました。
デザインはオレンジと赤のかわいい編み込みタイプ。地元はまだまだ正月気分のイベントで盛り上がってます。
メジャー観光地でもあるこの辺りは多国籍。民族大移動中の中国人、タイ、白人、サウスコリア。
そして時々、ラオスと国交のあるノースコリアの高官らしき方々。
さ、日本に帰りましょう。
2度目のラオスも最高だった。タイに落ちる夕日がメコンをピンク色にします。
明後日にはもう日本。帰り便では、とても自分じゃご縁もないような外交関係の方とご一緒でき、興味深いお話も聞かせていただけました。
あまりにゆるい日々が続いたために、こうして電気製品にまみれてパソコンに向かっているのが、ちょうどよい社会復帰になりそうです。