Bluesoup

Pakxe Laos

2011

喧喧噪噪の街、ホーチミンでの4日間を終えて、プロペラ機で1時間半。

着陸態勢に入って高度をさげると地上に赤い線が、1本・・・2本・・・それは赤土の未舗装路。

あっというまにラオス南部の街、パクセーに到着。

ミスター ノイ。 ちゃりを屋台に横付けしてのんきに休んでいると、

厨房の中からよろよろ出てきて、いきなりテーブルの反対側にすわって日本人か?と聞く。

こわいでしょ!ぶしつけに。

顔に似合わずいいやつで、仕事でベトナムに行っててその足でここに来たんだよ。というと、シーゴンには行ったことがあると言う。

シーゴン?うん、サイゴンね。ホーチミン。そうそう、そこから来たんだよ、飛行機で。

彼のグラスにもビールをそそぎつつ、サイゴンはうるさいけど、ラオスは静でいいとか、南部の食いもんは辛いとか、

ラオス語のテレビをボーッと聞いてると日本語みたいだとか、

日本語は縦書きもできるんだぞ!とか、ときどき意味不明な会話になりつつも、

何度も何度もいちいちチアーズさせられたのでした。

結論。ラオス人は乾杯が好き。

ホテルの屋上は街が見渡せるパノラマレストラン。

今日はいい夕焼けだと、スタッフの子が話しかけてきます。

すると急に彼が、さあ反対側も見ろと。

え?と西の空を見上げると大きな虹がでている。

ものすごいオレンジ色の反対側に虹。なんだかすごい色彩だ。

スタッフの子は、おい、両方一緒に(写真を)撮ることができるか?それはノーだっ!とはしゃいでいる。

 

めしを食い終わったころ、スタッフのひとりが日本語を教えろという。

コプチャイは?ありがとう。

サバイディーは?とりあえず、こんにちわ。かな?

おはようからおやすみなさいまで、彼らが少し日本語が上手になっていたら、

それはちょっとだけおれのおかげ(かも?)

何かあまいもん食いたいぞ。と思いながら夜道を歩いていると、見つけちゃいました!ラブリ~ロッティー屋台。

インド系?のおっちゃんが焼くロッティーは油こくなく、卵が2つ入ったエッギーテイスト。

ビエンチャンのベタベタあまあま系とひと味ちがう、あっさり上品な感じなのでした。

 

つまようじでロッティーをつつきながらぶらぶらしてると、

なにやら怪しいラオポップが聞こえてくる。

サンタナライクなギターが怪しいスケールで泣いてます。

近寄っていくと、それは夜の市場の空き地に現れた不思議な遊園地。子どもたちのパラダイス。

日が暮れて涼しくなったタラートの一角で、子どもたちが喜びそうなものばかりが、いきいきと輝いてます。

Phontong

モトで街から見える山を目指します。

街を抜け、ほんの少しづつ高度があがってくるとちょっと寒い。

バナナの屋台がポツリポツリあるので、バナナ街道と命名。

峠近くで雨が降ってきてしまい、軽装だったのでやっぱり寒い。

峠を前にギブアップなのだ。

山を下ってくるとだんだんあったかくなってきて、とりあえず晴れてる方を目指しましょうと、タイ国境方面を目指します。

パクセーの街から国境まで50キロ。

ホンダ製のモト、ランランバナナ号(勝手に命名)は快調に走る。

満タンにしたガソリンもぜんぜん減らない。さすが、メイド イン ジャパン。

タイ-ラオスの国境ターミナル。銃をもった兄さんもいず、のんきな感じ。

運ちゃんたちヒマそう。

時々スコールで痛い思いをしながら、どこまでも走ってみる。
体中の細胞が勝手に開いてしまう。

ビエンチャンに向かう国内線チェックインのときに、怖い顔をした空港の係の兄ちゃんが「ガンゴー、ガンゴー?」と言ってくるので、

何のことかと思ったら、それは観光。

日本語を1年くらい独学してるらしく、英語の方が通じるくらいの日本語でいろいろ聞いてきて、

腕のタトゥーはなんなのか?と聞いてくる。日本人にすら説明するのがたいへんなのに・・・

日本にはまだ行ったことないけど、いつかは行きたいと言ってた、あこがれの国、日本!

世界各地の時間を指している空港の時計。東京時計は7時間先を指している。(ホントは時差2時間)

Vientiane

ヴィエンチャン周辺のメコンはしっかり護岸されて、

あのぼんやりした岸辺が好きだったのにちょっと残念な気分。

照れ屋のくせにカメラ(たぶん)に興味があるらしくて、微妙に近くをにうろうろ。

こんにちわ! 屋台暮らしのリトルレディー メイ。

やたら明るいメイママは屋台の看板娘

祭りの期間中で、夜になっても大騒ぎのビエンチャン。

子どもむけの移動遊園地も何カ所もできていて、どっちかっていうと大人の方が興奮してます。

だれっ?

ヴィエンチャンには、日本がラオスにプレゼントした橋を渡ってメタボなタイ富裕層もたくさん来てました。

食いもん残しすぎ、とっちらかす、態度がでかい、金ばらまく。

公共工事や経済の発展で、出るとこが出れば、引っ込むところもあるんだろうか?

前よりも物乞いが増えたような気もして、娘わらしと同い歳くらいのフルチンの子が足もとにやってきて、

母はラオ語でたぶん、この子のオムツ代(たべもの代?)をとか言っているんだろうけど、

親の目は見れても、フルチンとはやっぱり目が合わせられないな。

お箸でソムタムに入った小さな唐辛子をきれいに除けるタイパンを履いた日本人を、

メタボなタイ人たちががどう思っているか知りませんし、

トイレ係(たいていの公衆トイレの前には家族単位でトイレを守る家族がいて、彼らにいくらか払ってから入る)の子として、

生まれたときからトイレの前で成長する子供たちだって、自分は物乞いよりもいいと思っているのだろうし、

幸せというものに絶対値がないのなら、金持ちがみんな政治家の親戚だろうが、新興国だろうが先進国だろうが関係なく、

ただその主観で生きていけばいいじゃない?

家族が増えてから、こんな長いあいだ家族と離れていたこともはじめてで、

2人だけのときには考えもしなかった、なんていうか本能的な寂しさもちょっとだけ感じてしまった今回のラオス。

ふらふらもほどほどにね。ということでやっぱり家族はみんなで一緒がいちばん!

こんどは3人で来ましょう!と、思ったのでした。

Blue bananas & Fruit heaven graphics